花喰い

 月光がけぶる夜だった。地上では木蓮が白く燃え、雪柳が路に細かな花を積もらせている。
 シキは湯に膝下だけを残して、桧の湯船の腰掛けて庭を見下ろしていた。気付けば白い花の多い庭である。軍人の庭と、配慮されたものかもしれなかった。硝子をはめ込んだ引き戸を開いて呼び込んだ風はぬくみ、心なしか花の香りをはらんでいる。
「……この世で最も美しい死に方というのを、聞いたことがある」
とろりと濃い、それでいて粘度の低い眼差しをこちらに向けていたアキラが、身じろぎした。行為の後の気だるさと熱の名残を宿した青灰色の瞳が、声に反応して瞳孔を窄める。それは眠りの淵にかけていたつま先を、引き戻す速度に等しいに違いなかった。いつの間にか傾いで、檜の湯船のふちに頬をつけるようにしていた頭を起こすころには、茫漠としていた面差しは常の怜悧さを取り戻している。肩口でひたひたと揺れるぬるい湯が、鎖骨に白い花弁を打ち寄せていた。
「冬の山で、凍った川を探す。その上で眠れば、死体は脂蝋化する」
静かに吹き込むまろい夜風が、時折桜の散り花を運んでくる。花弁は明かりを落とした浴室の湯の上で、月光に白さを増してゆらゆらと揺れている。
「冬の終りに氷が解け、桜の花弁とともに生前の面影のままの死体が川を下り、外界に戻る」
「それは貴方の──、俺の、死に方ではない」
言葉に導かれるままに想像していたらしい、アキラはどこか切り捨てる調子で呟く。誰の姿でイメージしたかは、その眉根に僅かに寄った皺が告げている。
「花に添われるような死に様は気に入らんか」
死に花と言うぞと、言葉すさびに付け加えれば。
「そんなもの、……」
口先の遊戯にいつまでも慣れぬ、掠れた呟きが返る。
 青灰の瞳が、ふと逸れた。水音をたててアキラは立ち上がる。数歩の距離をこちらに寄ったかと思えば、小さく尋ねられた。
「……、触れても」
僅かに口角を上げる。その小さな動きから、従僕は答えを読みとる。引き結ばれた唇が近づき、下り、触れたのは肩だった。アキラは何かを啄んで身を起こす。薄い唇に白い花弁が張り付いていた。舌で口内に運び去られたそれが、飲み下されたのを喉の動きで知る。
「貴方の死出には、俺が」
花などにその役割はくれてやらぬと、こちらを見下ろす青灰の瞳が、思いの外獰猛な光を宿している。
「俺の黄泉路を拓くか」
「命じたのは貴方だ」
宿敵たれ、と。
 命を削って刀を交え、あとには互いに持ちうるものすべてを失うような闘いを、ほかでもないお前自身がもたらせ、と。
 そういうものとしてお前を育てたのだと告げてから、従僕は少しずつ、面変わりしていた。相貌から幼さが削がれた。こちらを追う視線が、以前に増して切実な光を帯びる。それでいて、不思議とその気配は澄んだ。
「そうだな」
忠誠の限りを尽くそうと誓っていたらしい従僕にとっては、主の下した命令は、信頼の証である同時に裏切りでもあったに違いなかった。肯うと、一瞬、アキラは顔を歪ませる。
 ひどく密度の濃い感情が、一瞬の春の強い風のようにアキラの顔の上を吹き過ぎて、あとには洗われたような透明な無表情が現れる。うっすらと青ざめた、貌。
 微笑んで、シキは従僕の頬を撫でた。
 風に再び数枚の花弁が舞い込む。アキラは再び身を屈める。そうして主の肩に、腕に、おちた花弁を噛んでいく。啄む動きは、花弁がなくなっても続けられた。胸へ、腹の筋の上に、腰骨に。やがて湯の中に膝をついて、こちらを見上げた。濡れた髪をすいてやると、かすかな安堵を浮かべて再び口を開く。力なく垂れたものを口内に誘い込み、熱を持った舌で、頬の内側で、上顎で育てる。手慣れたものだと、口の端から漏らした笑みの息に、僅かに熱が乗った。彼をそのように慣らしたのは、シキ自身だった。昏い悦びがある。
 自ら喉の奥を開いて使い出したのを見下ろした。程なく、青灰の瞳が恍惚の蜜を湛えてとろりと溶ける。頃合だ。
「……うぁ……ッ」
灰色の髪を掴んで、口の中から育った杭を引き抜く。最後まで惜しむように舌が伸ばされた。ひどく淫猥だった。
 アキラの腕を引き上げる。湯の中から現れたその下肢は、こちらのものに劣らず反応して、上を向いていた。
「先ほどのでは、足りなかったか」
「……ッ、う」
逃れようとよじった身体を無視して、勃ち上がったものを手のひらに納める。鈴口をなじるようにしてやると、そこからぬるりと先走りがあふれた。
 こちらのものを咥えながら、腰を揺らがせていたのには気付いていた。本人は湯の中で見えないとでも思っていたのかもしれない。何事か否定を口にしようとして唇が開かれる。だがそれは、結局何も口にしない内に引き結ばれた。
「自分で入れてみろ」
アキラは恥じるように視線を下げる。だがすぐに湯船に膝をかけるようにして湯から上がると、シキの腰の上に乗り上げた。
「……ッ」
自ら尻の窄まりを開くように指をあてて、熱の杭に位置を合わせる。入り口を小突いてやると、すぐ間近でこちらを見下ろす青い瞳が驚きに見開かれ、それからゆらりと、潤む。息が、小さくせわしないそれに変わる。
「……っ、……んッ」
つい先ほど緩ませたばかりの場所だった。体重をかけるようにして、アキラはゆっくりと腰を沈めていく。ぬめりを帯びた熱い粘膜が、あっという間にシキを受け入れた。動かずにいても、温かな襞は内へ内へと誘い込むように蠕動する。ときおり、アキラが身体を硬くしたかと思えば、きゅうと内側が窄まってシキのものを締め付けた。よくよく快楽に馴染んだものだと、シキは首もとに熱のこもった不規則な息を感じながら、あやすように背を撫でる。やがてアキラはゆっくりと身を起こした。細かに震える足を、無理矢理動すようにして腰を使いだす。その様は健気といえば、健気だ。ただそう言いきってしまうには、あまりにも欲に濡れた眼をしている。それでいて、その動きはいつまで経ってもつたなかった。羞恥故ではない。
「……ん、……く、あっ」
常通り、恐れるように最奥近くの一点を避けるアキラの腰を掴んだ。一瞬、怯えるような視線が降る。無視をする。
「……ッあ゛あ゛……ッ」
肉杭のせり出した部分をひっかけるようにして、その場所をごりごりと抉る。内側が、痛みを覚えるほどにきつく締まる。アキラの濡れた唇が、快楽のあまりに割れた声に内側から開く。ほどなく、唇はゆるく綻んだままになり、時折思い出したかのように閉じられたかと思えば、すぐにまた緩んで内から舌を覗かせる。その頃には、貫かれた腰はそれまでの理性に制御された動きではなく、快楽に支配された粘るようなそれに変わる。
「……っう、う……!」
アキラの短い爪が、上腕に食い込んでいた。自らの腰の動きを止めようと、堪えるような声が噛みしめられた唇の端から漏れ、それが逆にこちらの劣情を煽る。ここまでくれば、アキラの体はもう止まることが殆どなかった。放っておいても小さく絶頂を迎え続けるようになる。
「……清めたばかりだったな。どうする」
がくがくと揺れる身体に問いかける。焦点を失いかけた潤んだ瞳は、言葉を理解するのに少しの時間を要したようだった。
 やがてくしゃりと表情を崩すと、首に腕を回してくる。耳元で、小さく余裕のない声がつぶやく。
「……ッ中に……」
「……ふ、」
欲の深いことだな、と囁いてやりながら、両手で尻を包んだ。それはちょうど手のひらの大きさをしている。割り開くようにしながら、最奥に杭を突き進める。
「……ッあ、ああ、……ッ!!」
アキラの嬌声は、悲鳴にほど近い。それまで以上に、きつく内壁が収縮する。痛みを快楽と認識する身体は、極みに達するとその境界が完全に崩壊するらしかった。双丘に爪を立ててやる。
「い……ッ、……ッ!!」
堪えられないと、肩口に興奮したアキラの鼻筋が、額が、強くすり付けられる。力の入らない歯が甘噛みを繰り返す。
「ふ……ぅう……ッく、んん……ッ!!」
やがてこちらに縋る腕の力が強くなる。身体は間断なく痙攣し、肩口を噛みしめられた。大きな波にさらわれまいと縋るからだは、しかし、あっという間に快楽の中に沈み込んで溺れる。下が、きつく断続的に引き絞られて、シキも息を詰めた。
「……っ、味わえ」
「……──ッ!!」
掴んだ尻を引き落としながら、熱杭で最奥を、拓く。蹂躙された粘膜が期待に蠕動して、こちらのものを喰いしめる。うっすらと、シキの口元に笑みが浮かんだ。これは俺のものだと、獣の本能にも似た強い劣情が、よぎる。執着を最奥に注ぎ込み、叩きつけ、擦り込ませる。
「……あつい……ッ、……っぁ、あ」
 つながった身体の奥から、アキラの悦楽が伝わってくる。何度も痙攣し、達しながら、夢見るような熱を宿した声で、震える譫言が紡がれた。
 髪を掴んで引けば、溶けた瞳は青みを増して、濡れた仄暗い光を宿していた。その唇のそばに張り付いた花弁を、先ほど自らがそうされたように啄む。僅かな香りばかりの、味のしない花だった。一瞬のち、まるで鼻先の餌を取り上げられた獣のような顔をして、アキラが追ってくる。牙も露わに唇を食まれて、従僕の獰猛さに思わず笑みを浮かべた。こんなとき、これをはじめに花と称した男に会ってみたくなる。ものが見えすぎるか、あるいは全く見えていないかの、どちらかだろう。何にせよもう生きてはおるまい。軍という場所で生きながらえるものの持つ感性ではない。
「花とともに下る川、か」
いつかこの身が辿るとすれば、それは冬に凍りつき春に溶け、下界を通り海にたどり着くそれではあるまいと、ふと思う。
 彼岸と此岸を分ける川、忘却をもたらす大河、そんなものだろう。はたして執着そのものを添わせたままで、何を忘れられるというのか知らないが。
「……まるで心中だな」
分かたれがたく繋がって流れに身を任すとは、と。その連想の趣味の悪さが従僕の眉間の皺を深くするに違いないと、うっそりと笑ってあえて口にした。
 案の定、数秒の間浴室を満たした沈黙は、酷く深い。
「安心しろ」
お前一人残しはせんと、重ねて囁いてやれば。
 そう願いますと、震える声で答えた口に、肩を噛みしめられた。

end.

※文章内の最も美しい死に方は、『おしまいの時間』(狗飼恭子著)より。

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